1995年1月17日 阪神・淡路大震災で思い出すこと

午前5時46分、テレビを付けると、今から28年前の同時刻に発生した阪神・淡路大震災の黙とうのニュースが放送されていました。

私自身は、生死に直結するような被害を受けたわけではありませんが、実際の揺れを経験し、それなりの被害を受けました。

詳細に全てを覚えているわけではありませんが、今でも思い出すことはあります。

何かを後世に残すとか、これからの教訓にしてもらうなど、大きなことは出来ませんが、色んな影響を受けた中の一人として、思い出せる範囲で記録を残しておこうと思います。

地震発生時の状況

1995年1月17日の午前5時46分。

15歳で中学3年生でした。

早起きの習慣はなかったので、ぐっすり睡眠中。

当時は、弟と同じ部屋で、二段ベッドの下に寝ていました。

覚えているのは、夢の中で突然ゴゴゴゴという地鳴りのような音がしてきて、二段ベッド全体が揺らされているような感覚。

誰かが二段ベッドを掴んで全力で揺らしているようなイメージでしょうか。

最初は、上で寝ている弟が暴れているのかなという程度でしたが、その内尋常じゃない揺れとなっていって、人によるものではないと感覚的に分かりました。

ただ、それまで地震を経験したことがなかったので、これが地震だという認識は全然なく。

揺れが一旦おさまって、しばらく経ってから、2階から1階のリビングへと降りていきました。

1階では母親も起き出していて、状況を確認。

確かラジオでニュースを聞きながら、阪神エリアで地震が発生したこと、まだ夜明け前で被害の状況などは分からない、ということを繰り返していたように記憶しています。

家の中を見てみると、棚の上に乗っているものが落ちていたり、食器棚から落ちたコップなどが割れていたり。

食器棚の上から1段目にあったコップが下の段に移動していたというのが印象的で、想像以上に揺れていたのだと実感したのを覚えています。

ただ、その段階では家の中が滅茶苦茶という程でもなく、家族全員の無事も確認出来ていたので、そこまで深刻な状況という認識はなく。

学校に行く準備をしながら、お昼のお弁当もいつも通り用意してもらって、と日常生活を送ろうとしていました。

それが、夜が明けてきて、被害状況が段々と分かってくると、状況が一変しました。

テレビのニュースで現場の様子が放送されると、現実のものとは思えないような惨状を目にしました。

当時住んでいてたのは、兵庫県三木市というところで、神戸市の北側にあり、震源地からはある程度の距離がありました。

そのため、神戸市内と比べると震度や被害状況は全然違うものです。

高速道路が崩れ落ちている映像など今でも放送されることはありますが、リアルタイムに見ていた時には、現実味がなくて、呆然としていたのを覚えています。

当日の過ごし方

自宅近辺の状況というのも大きな被害はなさそうでしたが、どういった影響が出ているかは想像も出来ないので、学校はもちろん休み。

当時はスマホや携帯電話などはなかったので、連絡手段は固定電話のみ。

確か学校の連絡網で電話が掛かってきたのだと思います。

学校の連絡網というのは、クラスを何グループかに分けて、それぞれのグループで順番を決めておき、担任の先生から各グループの1番目の人に電話連絡が行き、伝言ゲームのように内容を伝えていくものです。

今でもあるのかもしれませんが、今はLINEやメールなどが主流かもしれません。

当時の情報を得る方法としては、テレビかラジオ。

ラジオを付けつつ、視覚的な情報も必要ということで、テレビをずっと流していました。

基本的には同じ内容が繰り返されていますが、定期的に新しい被害情報などが出て来ます。

被害が拡大されていく様子をテレビニュースを通して実感することになり、ずっと怖さを感じていました。

漠然とした不安が常につきまとうような感覚です。

あの数分間の揺れの間に起こったことが、あまりに多くて大き過ぎて、信じられないという気持ちでしょうか。

お昼のお弁当を家で食べながら、こたつで座りながら、とにかく1日中テレビを見続けていました。

余震に怯えながらの受験

それからの生活に変化はあって、大変なことも色々あったのだと思いますが、何とか乗り切りながら過ごせたのでしょう。

日々の生活状況というのは思い出せません。

一番大変だったなと思い出すのは、中学3年生で高校受験の直前だったこと。

地震から学校が長期休校になるということはなかったので、数日後には登校して学校生活が再開されていました。

学習塾にも通っていたので、そちらも程なく再開。

勉強自体に支障が出るということはあまりなかった印象ですが、怖かったのはしばらく続いた余震。

学校や塾の授業中に余震が来ると、ビクッとなって、授業が中断されます。

中断されること自体は全然問題ないのですが、精神的に落ち着かない状況が続きます。

またあの揺れが来るのではないか、またあの被害が起こるのではないか、目に焼き付いた被害映像が頭から離れません。

ただ不思議と高校受験当日のことはあまり覚えていません。

地震の影響が落ち着いていたからか、ある程度の慣れが出来たのか。

今でも、高校受験と地震の記憶を結びつけるということもあまりありません。

阪神・淡路大震災の経験を思い出して、当時自分が何歳だったかを思い出して、そういえば高校受験の時だったな、という思い出し方です。

大阪に引っ越してきてからも、何度か地震を経験しました。

今でもちょっとした揺れに敏感になってしまいます。

身体の中がザワザワとする感覚。

これからも忘れることはないですし、何かしらこの経験を活かせるようにしたいものです。

おわりに

来年下の子が高校受験というのと結びつけると、感慨深いものです。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事を書いている人

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藤園 真樹(ふじぞの まさき)

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