自分がおじさんとして出来ること

24時間テレビは毎年何らかの形で観てしまいます。

ずっと観ているわけではありませんが、部分的にちょくちょくと。

期間中はずっと放送されているので、ちょっと時間が空いた時などチャンネルを変えれば、何かしらやっている。

変な安心感みたいなものがあるのかもしれません。

テーマやそもそもの主旨など、色んな考え方があって、それに対して色んな意見はあるもので、そこに何か言いたいことがあるとかそういうことはありません。

ただ、毎年ちょっと観ただけで、自分に出来ていないことがあることを認識してしまうというところでしょうか。

今年印象に残ったのは、おじさんという言葉。

番組の主旨とは離れているのかもしれませんが、おじさんとして出来ることと言われると何だかグッと来るものがありました。

おじさんという認識

おじさん、というと、子供の頃は、得体の知れない畏怖の対象だったことが多かったような気がします。

何故だかいつも不機嫌そうな感じで、近寄りがたい。

あっ、ヤバいと思った時には、大体怒られている。

もちろん、こちらが悪いことをしている時もあるので、間違っているわけではないけれど、もっと言い方があるのではないかなと思ったり。

空き地でボール遊びをしていたら、隣のお家の庭にボールが入ってしまった。

普通は、玄関に回って、インターホンを押して、

「すいません、ボールがお庭に入ってしまったので、取らせてもらえませんか。」

とお断りを入れてから、取らせてもらうもの。

でも、そうした場合には、大体ネガティブな対応が多いもの。

怒りを含んだ声だったり、空き地でボール遊びをするなと注意を受けたり、時には怒られることも。

応答がない場合には、どうしようもないのですが、ダメだと思いながら、無断でお庭に入ってボールを取ってしまうことを考えることも。

そーっと、塀に足を掛けて、乗り越えようとした時に、中に人がいて、怒鳴られることもあります。

それは当然の対応です。

こちらが完全に悪い。

こうしたことがおじさんと結び付けられて、畏怖の対象になっていたのでしょう。

もちろん、話し易くていいおじさんもいました。

近所で遊んでいたり、登下校していると、いつも気に掛けて声を掛けてくれていたおじさん。

ゴルフの練習をしているのをずっと見ながら、他愛ない話をしたり。

しかしながら、そのことを母親に話すと、怪訝な顔で、知らないおじさんには関わらないように釘を刺される。

親としてはそう言うでしょうね。

何があるか分からないというのはよく分かります。

そうして益々おじさんへの畏怖が増幅されていったのでした。

そんな私も今年2023年で44歳。

充分おじさんの年齢になってきました。

人から言われたり、文章で自分が「おじさん」と書くことには抵抗があるものですが、自覚はあります。

おじさんとしての生き方

一人でいるときには、おじさんと自覚することはあまりありません。

同年代やそれ以上の人達といるときも。

おじさんになったなぁ、というような話が出て来ることもありますが、私自身はあくまで話のネタの一つというような感覚です。

やっぱり、一番自覚するのは、自分よりも年下の人達と接する時です。

その年齢差が大きければ大きいほど、自覚させられることが多いかなと。

しかしながら、おじさんというワードが相手から出て来ることはあまりありません。

むしろそうした話を直接していれば、そんなに自覚することもないような気がしています。

そうした話を直接しておらず、何気ない会話の中で自覚させられるからこそ、意識してしまうものなのでしょう。

そもそも生き方に、おじさんと若者とで明らかな違いがあるものなのか。

違いはあるでしょうが、それは年齢的なことというよりも、個々の生き方の違いではないのか。

以前はそんな風に思っていました。

でも、おじさんとしての自覚が出てくるにつれて、おじさんとしての生き方というものをぼんやり考えるようになりました。

何かに悩んだり、上手くいって喜ぶこともあれば、失敗して落ち込むこともある。

やっていることは、昔からそんなに変わっていないはずなのに、その影響というのは以前とは変わってきているかなと。

不用意に言ってしまった言葉が、思っているよりも相手に影響を与えてしまう。

人との関わりがあることで、窮屈になることが増えてくる。

自然と適度な人との関わり方を選ぶようになっているのかもしれません。

おじさんとして出来ること

自分の中で、大人になってからのおじさんのイメージは、疲れ気味で説教臭い、というものです。

特に誰か特定の人がそうだったというわけではなく、あくまでイメージですが。

そんな風にはなりたくない、というのは常々思っていました。

単純に嫌われたくない、ということもあるのでしょう。

だからこそ、ここ最近は自分より年下の人と関わることは最低限にしようと意識してしまっていたように思います。

もちろん、税理士として独立開業して、色んな人がいる職場という環境から離れてしまったことも影響しているでしょう。

たまに、接する機会もありますが、ちょうどいいぐらいの頻度や期間だったり。

コロナ禍での異常な状況が続いていたというのも関係あるかなと。

おじさんと自覚するようになってから、おじさんとして人と接する機会が減ってしまった。

特にこれを是正する必要はないのかもしれません。

その方がラクでしょうし。

でも何か出来ることはないのか。

そんな大袈裟なことじゃなくてもいいのです。

ただ、自分が今どう思っているのか、それを伝えるだけでも一つの意見として響くものがあるかもしれない。

そうした伝える機会を無理やり増やすというのも一つの方法でしょう。

もしかしたら、それを実践していたからこそ昔出会ったおじさんは説教臭くなっていたのかもしれません。

良くも悪くも、おじさんになってくると、鈍感になってくるものです。

それを自覚しているだけでもまだマシなのだと思いたいところです。

何か特別に伝えたいことがあるわけではない。

それでも、人との関わりを持ち続けることで、伝わることがある。

そう信じて、着飾らずに関わり続けることが大事なのかなと思っています。

おわりに

やっぱり、おじさんという言葉にはまだ抵抗があるみたいですが、自分で言っている分には仕方ないと諦めることにします。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事を書いている人

エフティエフ税理士事務所
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藤園 真樹(ふじぞの まさき)

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