通学路の思い出
先日FM802のラジオ番組のトークテーマで「通学路の思い出」というものがありました。
リスナーの方からエピソードを募集して、紹介していくというもの。
私自身は、久しく通学というのはしていませんが、子供たちは現役で通学していて、その姿を日々見ていると、当時のことを少し思い出します。
小学校・中学校は徒歩
住んでいる場所や学校までの距離によっては、自転車通学が認められている場合もあるかもしれませんが、小学校・中学校は基本的には徒歩での通学でした。
小学校の時は、集団登校で、エリアごとにグループが決められていて、決められた時間までに集合場所に行く必要があります。
6年生が班長で、みんな来ているか確認してから、出発。
30年以上前の話ですが、今でも集団登校というのは残っているようで、自分の子供たちも毎朝集合場所に行っていました。
小学校に入りたての1年生などであれば、1人で登校するのが不安なこともあるので、助かる部分もあるでしょう。
特に小学校までの距離が遠い場合には、必要な措置とも言えます。
私が通っていた小学校は、自宅から遠かった記憶があるので、親としても安心だったのかもしれません。
今Google Mapsで調べてみると、自宅から小学校まで1.1km。
小学生で、ランドセルやその他諸々の荷物を抱えて、集団登校でゆっくり歩いていれば、30分ぐらいは掛かっていたかもしれません。
印象的だったのは、通学路がきっちり決められていて、エリアによって分かれていたこと。
分かれ道がある場合、Aグループは左ルートで、Bグループは右ルートという感じです。
何故だか私のグループの通学路はアップダウンが激しいルートでした。
登校時は集団登校なので違うルートは選べないですが、帰りは個別で下校なので、たまに別のルートで帰っていました。
今考えれば、そんなに大したことではないですが、当時はルールを破っていることにビビりながら帰っていたのはいい思い出です。
中学生になると、集団登校ではなくなり、個別に通学することになりました。
ただ、一人で通学する人というのはあまりいなくて、友達や家が近くの人と待ち合わせて登校している人が多かったように記憶しています。
きっかけや理由は覚えていませんが、私自身も小学校からの友達や近くの人と待ち合わせて登校していました。
そんなに仲良くしていなかった人もそのグループにいたのは、きっと親同士などで示し合わせて、どうせやったら一緒に、という配慮があったのかもしれません。
小学校も結構遠かったですが、中学校は更に遠いところにありました。
これまた今Google Mapsで調べてみると、自宅から中学校まで1.8km。
ただ、この距離は正規ルートであり、当時は裏道を使ってショートカットしていたので、もう少し短かったと思います。
正規ルートとは反対側から回って行くようなイメージで、森の中を通って、田んぼ道を抜けて、中学校の裏門に出てくるというルートです。
印象的だったのは、入学初日の出来事。
初登校ではありますが、グループで話し合った結果なのか、正規ルートではなく、裏道を使って登校することになりました。
時間があまりなかったというのもあったかもしれません。
裏道ルート自体はよく見知った道なので、迷うことはなかったのですが、中学校の裏門に着いたときに、少し迷いました。
裏門から入ると、グラウンドを横切って校舎まで行かなければなりません。
その時は、裏門から入ってもいいかどうかも分からなかったので、もしもダメだった場合には怒られるかもという懸念がありました。
そのため、ここから正規ルートの正門に回って行こうということになり、裏門から踵を返して、正門に向かうことに。
その時、裏門付近から先生の呼び止める声が聞こえてきました。
入学初日から、先生から怒られる羽目に。
どうやら、裏門から入ること自体はダメではなかったようで、入ってすぐのところに先生が立って挨拶していたようです。
そこに、1年生っぽい集団がやってきて、逃げるように別の方向に向かっていったので、何かやましいことがあるのでは?と思われたようです。
逃げたわけではないですが、正規ルートではない裏道ルートを通ってきたというやましさはあったので、強く出ることも出来ず、しっかり説教を受け入れたのは、いい思い出です。
高校生・大学生は電車
高校生になると、学校までの距離が一気に遠くなって、電車通学が始まりました。
交通の便がいいところではなかったので、利用できる路線は1つだけで、本数も多くはありません。
自分の子供も高校までは電車を利用していますが、交通手段は地下鉄・JR・私鉄と複数あります。
割と便利なところなので、電車の本数も多いです。
羨ましくもありますが、今思えば、その不便さもまたゆったりとした時間の流れを感じられるので、良かったのかもしれません。
高校生ともなると、やるべきことは増えてきます。
疲れるので、休息の時間があるのは助かるものです。
準備不足で朝一番の小テストなどがあっても、通学の30分というのを有効活用出来たこともありました。
毎日ひたすら同じ区間を色んな状況で往復していたのは、いい思い出です。
大学生になると、更に学校までの距離が遠くなりました。
電車で通学するのは当然ですが、ドアtoドアで片道約2時間。
朝一番の1限の授業にしようと思うと、朝6時55分の電車に乗らなければ間に合いません。
それでもギリギリです。
身支度の時間を極限まで短縮したとしても、朝6時30分には起きないと電車の時間に間に合いません。
大学生にとっては、平日の朝6時30分に起床というのは厳しいものです。
3回生からは大学の近くに下宿するようになったので、4年間丸々通学していたわけではありませんが、2年間だけでもよく頑張ったなと思えます。
社会人大学院は状況に合わせて
学生時代の通学路というと、大学生までかなと思っていましたが、社会人になってからも、税理士試験の関係で大学院に通っていました。
社会人大学院の場合は、大学のキャンパス自体は都心から離れたところにあっても、サテライト教室が都心にあることが多いです。
私が通っていた社会人大学院にもありました。
勤務先からも電車1本で約20分。
平日夜の授業の場合、勤務先を定時に出ればギリギリ間に合うので、だいぶ助かりました。
仕事が詰まっている時には、授業の後にまた勤務先に戻って、仕事をするということもありました。
それが出来たのも、交通の便が良かったからというのもあります。
それが良かったのか悪かったのかは分かりませんが。
土曜日に授業があることもあったので、その場合は自宅から通学する必要があります。
距離は遠くないのですが、電車でのアクセスが悪かったので、自転車で通学していました。
片道15分ぐらいだったので、それもまた時間の短縮になって、通うことのハードルを下げてくれていたと思います。
たまには本校のキャンパスで授業を受けることもあったり、修士論文を執筆するために、本校の図書館や自習室に通い詰めることもありました。
本校のキャンパスは、勤務先からは近かったので、電車で行くこともあれば、通勤で自転車を利用していた時には、そのまま自転車で通学することもありました。
自宅からは結構な距離があったので、帰りはちょっとしんどいこともありましたが、適度な運動でいい気分転換になったり、思考を巡らす時間が取れたりで、良かった部分もあったかなと。
修士論文の執筆のために、大量の書籍やコピーを持ち運ぶこともあったので、その時には車を利用することも。
近隣にコインパーキングもいくつかあって、長時間でも都心ほどには料金が高くなかったので、よく利用していました。
状況に合わせて、通学路を変えつつ、通学手段を選んでいけるというのは、便利なものです。
ただ、自由過ぎて、学生時代の制限というのが懐かしく感じることも。
ただ、大人になったからと言って、余裕があるわけではなく、学生時代と同様に必死に日々を過ごしていたのはいい思い出です。
おわりに
今でも、それぞれ当時の通学路の近くを通ったりすると、懐かしい気持ちと当時の思いなどが蘇ってきます。
良い意味でも悪い意味でも、それが通学路の思い出なのかなと思います。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事を書いている人
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藤園 真樹(ふじぞの まさき)
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