「誕生日おめでとう」が届くまで
2023年9月16日で44歳になりました。
特別な区切りであるとか、キリの良い区切りというわけではないですが、毎年何かしらの区切りとして認識するようにしています。
誕生日がおめでとうなのかは、人によって違うものでしょうし、こうしなければいけない、ということもありません。
ただ、自分としては、誕生日おめでとう、と言われると、くすぐったい気持ちもありますが、単純に嬉しいと感じられています。
改めて考えてみると、「誕生日おめでとう」というメッセージを届けるためには、色んなきっかけや過程があるのだと実感しています。
記憶している
私自身が誰かに「誕生日おめでとう」と伝える機会はかなり限られています。
元々、社交的な性格というわけではなく、時間的な距離や物理的な距離が離れてしまった人と気軽にコミュニケーションを取ることが苦手というのも理由の一つです。
ちょっと知っている人に、いきなり「誕生日おめでとう」を伝えるには大きなハードルがあります。
なので、家族であったり、よく会う知り合いの人ぐらいしか誕生日を意識することはない。
数える程の人数であれば、頭で記憶しておけば事足ります。
何かプレゼントを用意したり、ケーキを用意したりなどは、自然と時期が近付けば始めているもの。
そうした関係というのは、限定的だからこそ大事にしていきたいものです。
先日の私の誕生日のときには、9月に入ってから、欲しいものや食べたいものなど妻が聞き出してくれて、準備が進んでいきます。
そうした心遣いが素直に嬉しい。
無理ない範囲でと思う反面、何もなければ寂しい気持ちになることも分かっているので、自分でも面倒くさい人だなと思ってしまいます。
もしかしたら、サプライズ好きの人であれば、秘密裏にして欲しいという思いがあるかもしれませんが、誕生日なんて毎年くるものなので、完全に隠し通すというのは現実的には難しいかなと。
最近では、そうした過程を感じながら過ごすのもいいものだと思えるようになりました。
誕生日の前日の夜は、仕事やその他諸々のこともあり、いつもよりも寝る時間が遅くなっていました。
ちょっと一息ついてから寝ようと思って、リビングのソファに座っていると、長女がつかつかと目の前にやってきました。
何か頼まれてたことを忘れてたかな、と思っていると、
「誕生日おめでとう」
と言ってくれたのでした。
そういえば、0時を過ぎていたのでもう誕生日当日になっていたのでした。
高校3年生でお年頃の時期でもあり、受験勉強真っ只中。
ほとんど毎日塾で夜遅くに帰ってきて、早めに寝てしまう私とは時間が重なる機会が極端に少なくなりました。
そんな中での、このひと言は、印象的でした。
次女は、数日前からコソコソというわけではないですが、オープンな部屋で何かしている。
近くを通ると、まだ見たらアカンで、と釘を刺される。
当日プレゼントでくれたのは、手作りのもの。
次女もまた中学3年生でお年頃の時期であり、受験勉強真っ只中。
照れもあるだろうに、時間を掛けてくれたことが何より嬉しい。
家族だからというのもありますが、誕生日を記憶していて日常の中でおめでとうが出て来るというのは、私にとっては一番のご褒美なのだと思っています。
記録している
誕生日を全て記憶している、となればすごいですが、現実的にはなかなか難しいところです。
私の場合であれば、家族以外の誕生日を記憶できている自信はありません。
そういう場合でも、記録しておくことは出来ます。
カレンダーや手帳に毎年書き込んでいく。
新しいカレンダーや手帳を買う度に、まずはそうした情報を書き込んでいく。
場合によっては、途中で追加されることもあるでしょう。
最近では、パソコンやスマホなどでデータを管理することも出来ます。
アプリに情報を入力していく。
基本的な工程は紙でもデータでも同じです。
データで管理する場合は、毎年同じ情報を入力する必要がなく、自動的に毎年更新するということも出来ます。
効率的な運用方法でしょう。
時間は限られているのだから、同じような手間暇を掛けるのはもったいない。
それはその通りです。
でも、大事なモノが情報に埋もれてしまわないようにはしておきたいものです。
毎年同じことを登録する。
一見すると、非効率なことではありますが、その一つ一つの工程の中で、思いを馳せることがあります。
これまでの1年の関係性とこれからの1年の関係性についてその時は考える。
もしかしたら、関係性がないものとして断ち切ることもあるかもしれませんが、それもまた必要なことです。
自動発信
SNSを利用していると、誕生日の情報などが通知されてくることがあります。
もうすぐ「〇〇さん」の誕生日です!
今日は「〇〇さん」の誕生日です!
・・・
私自身はそれを見て、誰かにメッセージを送るということはありませんが、便利な機能だなと思っています。
普段会わないような人であれば、誕生日の情報を記憶出来ていないことも多く、記録自体も出来ていないこともあるもの。
そうした時に、通知があると、ふと思い出せるものです。
普段連絡がない人から誕生日のメッセージが届いた時には、そういう経緯がだったのかなと思ってみたり。
正直なところ、嫌な気は全然しません。
きっかけは何にせよ、実際にアクションを起こしてくれていること自体に嬉しさを感じてしまいます。
メッセージをもらえているだけで有難いことなのですが、欲を言えば、定型文のようなものよりは、自分の言葉のようなものがあるとより嬉しいかなと。
メッセージをもらう立場であるとはいえ、メルマガなど自動発信の誕生日おめでとうメッセージは流石に嬉しいとは感じません。
会員登録された情報の中の生年月日を元に登録された送信先に自動発信する。
もしかしたら、手作業でピックアップして送信作業をしている場合もあるかもしれませんが、定型文だということがあからさまだと受け取り方が変わってきます。
同じメッセージだとしても、シチュエーションや前後の言葉で意味合いは変わって来るもの。
特別なことはしなくても、自分の意思がちょっとでも入っていれば違いになるのかなと思っています。
おわりに
誕生日なんてどうでもいい、という人からすれば、何の意味もない内容になりそうですが、そうした考えもまた面白いものです。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事を書いている人
エフティエフ税理士事務所
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藤園 真樹(ふじぞの まさき)
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