応援することしか出来ないけれど
自分が直面していることに、自分で立ち向かう。
決して簡単なことではないですが、自分で決めて、自分で努力して、結果を受け止める、というのは受け入れ易い部分があります。
これが、自分以外のことになるとどうか。
ただ応援するしかないというのは、ラクでもあり、歯痒くもあります。
何が正解というのはありませんが、色んな関わり方を模索するしかありません。
変わってあげたいとは思わない
冷たい言い方になるかもしれませんが、自分以外の人が直面していることに対して、変わってあげたいと思うことはほとんどありません。
よっぽど何かを押し付けられていて、困っているという場合であれば別ですが。
例えば、学校などの受験。
自分の子供が受験勉強のプレッシャーに苦しんでいるのを近くで見るというのは、ツラいところがあります。
自分自身も経験してきたからこそ、その大変さも分かる。
でも、だからこそ、変わってあげたいとは思わないようにしています。
受験勉強の内容自体が、その後の人生の役に立つかは正直分かりません。
たまに、この問題教えて、と聞かれることもありますが、何となく見たことがある問題だけど、「〇〇の定理」自体を覚えていないので、考え方しか伝えることが出来ない。
そう考えると、その時勉強していた内容が今も活かされているわけではないのでしょう。
ただ、達成したいゴールに向かって、人と競争しながら、時には目の前が真っ白になったり、希望が見えたりすることを繰り返しながら、走り切るという経験は今後に活きてくるのかなと思っています。
その時に、思うような結果が出ても、出なくても、どういった過程を経て、その結果に繋がったかというのは、自分にしか分からないところがあります。
本人のためを思うのならば、そうした経験を積んでおく方がいいのではないか。
自分が親であったり、年齢を重ねて下の世代が出来る年代になったからこそ、そうした思いは強くなっているような気がします。
発破をかける
応援の仕方にも色々ありますが、一番分かり易いのは、「頑張れ!」など相手を鼓舞するように発破をかけることでしょう。
自ら目標に向かって、ペースを崩さずに進める人であればいいのですが、多くの場合、なかなか身が入らず、サボり気味になってしまうことも。
そんな時に、ストレートに「頑張れ!」と発破をかけるというのは、効果的な方法ではあります。
ただ、方法によっては、逆効果になってしまうことも。
発破をかけ過ぎて、委縮してしまう。
もう既に頑張っているのに、やる気を失わせてしまう。
プレッシャーを掛け過ぎて相手が潰れてしまう。
加減を考えるのは基本的なことですが、自分を基準に考え過ぎないことが大切なのかなと。
人によって伝え方や捉え方は違うものではありますが、私自身は、一方的にならないことを心掛けるようにしています。
単に「頑張れ!」と言うだけで、自分は頑張っていない。
そんな人から発破をかけられても、響くものはあるか。
すべての事情を加味して考えることは難しいと思いますが、お互いに納得した気持ちでいるのが大事なのかなと。
一緒に取り組む
応援する側も頑張る必要があるとして、何を頑張るか。
同じことに一緒に取り組むというのも一つの方法でしょう。
同じ資格を同じように目指して一緒に勉強する。
同じ内容でなくても、同じタイミングで勉強をするという状況を作り出す。
仕事を任せている場合であれば、主にはならず、一緒に考える。
応援するとなると、なかなか同じ土俵に立っているような感覚になることが難しかったり、外側にいるような感覚になることもあるでしょう。
そういった意味では、何かしら一緒に取り組むというのは、横並びになって、一体感を得られるかもしれません。
気を付けたいのは、片手間のようになったり、本来の応援が疎かにならないようにすることでしょうか。
個人的な嗜好や考え方になりますが、私自身が応援を受ける立場であれば、一緒に取り組んでもらうというのは合わないような気がしています。
自分勝手な考え方ではありますが、何かに集中して取り組むときには、自己陶酔しながら、進める方が合っている。
身近なところでも、人と比較しながらとなると、調子が狂ってしまうというところです。
ただ、一緒に取り組むことを望んでいたり、嫌だと思わない場合も多くあるので、それまでの関わりを振り返りつつ、相手を見て判断するしかないかなと。
見守り続ける
応援という言葉に合っているのかは分かりませんが、見守り続けるというのも応援の一つかなと思っています。
そして、私自身としては一番理想としている形です。
静かに見守りつつ、ここぞという時にしか口を出さない。
ちょっとしたピンチなら、動かない。
背中で語るようなイメージでしょうか。
ただ、これが一番難しい。
それは、積極的に口出ししながら応援することも良いと思っているからというのもあります。
目の前で悩んだり、苦しんでいるのを見ても、黙っている。
それが本当に相手のためになっているのか、心が揺れる時ではあります。
でも、見守るにも種類があります。
大きく分ければ、「静」の見守りと「動」の見守りというところでしょうか。
「静」の見守りは、文字通り静かに見守って動かない。
「動」の見守りは、直接であったり、目の前で分かり易い応援をするわけではないけれど、相手が取り組みやすいような環境を整えるために陰で動きながら見守るというところです。
勉強に集中し易いように、身の回りのお世話をしたり、仕事で行き詰っていたら気分転換出来るように立ち振る舞ったり、ヒントを出したり。
目立たないけれど、何かしら動いていることで、ヤキモキすることも軽減されるものです。
どんな方法であれ、相手のためになるという視点で考えることが大事なのかなと。
おわりに
自分が出来ることは限られているからこそ、自分のことも相手のこともしっかり考えながら、応援するというのが大事なのかなと思っています。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事を書いている人
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藤園 真樹(ふじぞの まさき)
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